Anything Goes!

耳下腺癌から色々あって今は育児中の私が書く雑多なブログ

師走。仕事っぷり

年末です。
今年の出勤最後の週。

うちは毎年大掃除をして最後に納会を行ってその日は解散。


同部署他職種の人たちは忙しそうな年末になりそうですが、
私は年末とお正月はお休みをとれます。
ただし旦那が休み無し。

社内結婚なんです)←ここはまた書く。


もうさ…わかったいたけどここ最近旦那は

ほんと~~に休みがなく
どこか行くこともできない。家族旅行とか。

もう少し前は年末は休んで実家とか行かずに旅行しようって

言ってたけどそれも叶わず。


うちはプロジェクト期間が長いので
プロジェクト終了後にまとまった休みをくれるんですが、
とはいえ全部出勤してたぶん休めるかというと

そういうわけでもないから

幼子をもつワンオペ妻としては


「まとまった休みより定時定休がいい」

です。


みんなそうなんじゃないかなぁ。



今年の年末はワンオペ年末になりそーです。(ため息)

就活に終止符

今の仕事は映像制作系の会社です。

 

グラフィックデザイナーとして就職しました。

web系かなと思いきや開発部に配属になり、

嫌だ^^

 

と最初は思っていましたが…

 

 

デザイン系ではなかなかの待遇、

何よりキレイな都心(名古屋です)のオフィスに心うたれたのが大きかったです(志望動機がひどい)

 

 

でもさ、働くならいい環境がいいじゃない。

誰だってそうだと思う。やる気につながるよ。

 

面談の時にきちんと病気のことも説明しました。

完治していること、だけど通院検査があるということ。

それもわかってくれて採用してくれたのは本当にありがたかったです。

 

もちろん隠して受けることはできましたが、

それがあとあとわかって気まずくなったりするのも嫌だったし、

その上で採用してくれるところに行こうと決めていました。

 

というよりブランクを説明する上でどうしようもなかったんですけどね。

下手に理由のない無職期間よりはいいだろうと、

変に開き直っていた。笑

 

当時(といっても約7年前)はうちの会社も

今よりもう少しゆるく、採用をガンガンしていた時期でした。

部署のトップの方との面談の時に私が通っていた大学を

知っていたらしく、そこの出身なら絵とかもうまいっしょ

みたいなノリだったらしいです。(ありがたいw)

なのでほぼ実績もない私でしたが…

運が良かったんでしょうね。

 

とにかく働こうと思ってたし、採用に落ち続けるのが辛かったので決めました。

 

こんなやぶれかぶれな感じに書いていいのかなぁw

 

 

そんなこんなで、私の就活は終わりを告げたのでした。

またまた久しぶりの更新、最近のこと、転職活動中のこと。

ようやく仕事も少し落ち着いてきた今日このごろ。

 

だけど不況の波がじわじわとワークママを苦しめる…

時短勤務の立場の弱さよ。

 

私も定年までと思っていたけどそうもいかないかもしれない。

 

今更 子供抱えて時短勤務で雇ってくれるところがあるんだろうか。

東京ならまだしも…

いざ切られることになったら腹くくるしかないよなー。

 

明日は我が身…。

 

 

 

とまあちょっとした愚痴も書きつつ。

 

前回でほぼ治療の内容は書き終えたかなと思います。

治療は辛かったですが、命あってこそ。

もしリンパに転移してたら、今こうしてブログを書くこともなかったのかもしれません。

 

腫瘍が見つかるタイミングだったり、

再発の時期だったり、私は運がいい方だと思うことにしました。

 

同じ病気の方の励みに少しでもなればいいなと思います。

 

 

そしてそして。

 

退院と同時に関西から中部地方の実家へ戻ってきました。

しばらくは療養といいながらのニート状態。

親も祖母もゆっくりせえ、とまあそりゃ優しい。

癌だったわけだから、そりゃ心配もしますよね。

実際問題顔の麻痺も結構残っていたので、あまり外に出る気も起きず。

 

転職活動は3ヶ月後くらいから少しずつはじめました。

その間に母親の仕事の手伝いだったり、

独学でHPを頼まれて作ってみたり。

 

そんなこんなしつつダラダラと半年が過ぎてしまいました。

 

ずっとこのままでいるわけにはいかん。

どんどん焦りが出てきました。

 

まずは自分で都市部での採用を探してみたものの上手く行かず。

 

今思えば当たり前なんだけど、新卒の会社は半年も立たずに

辞めてしまったわけだし、殆ど第二新卒

むしろ第二新卒よりキャリアはない。

 

ポートフォリオも大したものが載せられない。

(私はデザイナーなので作品集を持って面接を受けるのです)

転職活動は難航しました。

 

しかも、中途半端に若い上に社会経験もないぶん、

自分は「いい会社」に行かなければ!

という変なこだわりも捨てられず、メーカーを受けたり

ホワイトな職種しか受けない!とか、

そんなことを譲らないからダメだったんですよね。

 

 

結局、仕事が決まるまで1年半、ワイは無職だったのでした。

つづく…。

 

 

 

久しぶりの更新、仕事しながらの育児と、放射線治療で辛かったことについて。

だいぶ期間が空いてしまった。

年末まではたぶん仕事忙しい…

 

仕事は時短勤務ですが毎日やることいっぱいで時間が足りない。

そして帰ってからは子供2人のお世話して家事して次の日の準備して…

ってやってるともう疲れて寝ちゃう。

仕事終わって保育園にお迎え行くまでってなんか

ものすごく頭のモードを切り替えしなきゃいけなくてその状態がふしぎな感覚。

 

自転車で12~3分で保育園に着くんですが、

景色みたり音楽聞きながら行くうちに着いちゃって、

子供の顔見たら家(育児)モードになってます。

 

そして、独身時代は残業しまくりでしたが決まった時間で

働く方が集中力は格段にUPした。

うちは裁量労働制だからついついダラダラとしちゃうけど、

やっぱり時間決まってる方がいいんじゃないかなって思うな。

以前別のSNSでこんなことをつぶやいたなぁ…。

 

このあたりはまた自分の考えもまとめたいし、

別の記事で書くとしよう。

 

 

さて前回の続きです。

 

放射線治療とは…

・マスクを作って固定しながらの治療。(首から上は照射部分がズレないように固定)

※その他の部位についてマスクを必要とするかどうかはわかりません、すみません。

・がんがある部分に放射線を照射し、がん細胞を焼き殺す。

・治療は約1ヶ月、一日30分程度。

・照射によって頭髪の抜け、口腔内の火傷が起きる。

・顔の表面の皮膚も変色する。(要は火傷)

 

 

上記について、私が

体験したことや治療で辛かったことを書いていきます。

3点にわけました。

 

・マスク作り

放射線治療マスク画像

→私は顔の正面から左耳下の手術したあたりに向けて照射なので

顔のマスクを取りました。

これ捨ててもらったけど取っておけばよかったなぁw

 

放射線は浴びなくてもいいものなので治療以外のところには極力

あてないよう、治療中の動きを固定するためです。

被爆するってことだし。

 

 

・髪の抜け、頭皮のダメージについて

顔側からあてますが、放射線は突き抜けるので後頭部の皮膚もダメージを受けます。

また生えてくると言われました。今現在治療から5年以上経ちましたが、完全に元通りにはなっていません。

特に治療中は照射部分の頭皮がサラサラ(というかカサカサ?)

毛穴は殲滅状態!

自分の皮膚じゃないみたいでした。

しかも技術がすごいのか、もう、あててるとこ「ましかく」に

抜けるのだ…

これがもう嫌で嫌で…

治療が終わってからも辛かったです。

髪はアップスタイルにできないのでサイドにまとめたりして

誤魔化したり、美容院に行っていちいち説明しないといけないのも…。

何も言わないとぎょっとすると思うしね。

あと、ボリュームも変わるからカットで調整してもらったり。

一応今は毛は生えてますけど柔らかいし少ない。

これから歳とる一方だし完全に復活は難しいのかな、と思ってます。

 

・口腔内の火傷状態について

髪はもちろん、口の中も放射線は通過するので口の中全体が口内炎状態に。

コレが一番辛かった…

私はこれで食事が殆ど取れなくなり、10kg近く痩せました。

痛み止めを飲んでも単純に口の中が爛れているので

飲み物を入れるのも辛い。

ゼリー状の痛み止めを食事前に口に含むけどそれすら痛い。

とにかく毎日痛くて臥せっていました。

これが照射開始7日目くらいから始まって終わるまで続きました。

治療を始めるまでは仕事しながら通院する選択肢もありますよ、と先生に言われたけど

絶っっ対に無理だったと思う。

痛くて仕事どころじゃくなってた筈。

 

・顔のむくみ

マスクを付けて治療が終わった後は顔にくっきりとメッシュの痕がつくくらい、顔がパンパンでした。

目も二重だったのが常に腫れぼったい一重。

毎日鏡を見るのが嫌だし、お見舞いに来てもらうのも嫌だった。

それでも来てくれる人には笑って「スゴイでしょっw」なんて言ってたけど。

今の年齢なら多少はいいかな。色々悟ってるし。笑

若い時ってもっとなんか弱いから。

 

 

ピークは治療を始めて1週間~3週間あたり。

後半は少しずつ口の中の状態が回復していきむくみもマシになっていきました。

 

 

これのおかげなのかはわかりませんが、

治療後5年経過観察で通院&検査をしましたが、

今の時点で再発はしていません。

 

辛かったですが、やるべき治療だったんだろうと思います。

 

しかし、全て母親がお金のことはやってくれていたんで

治療費はいくらくらいだったんだろうな…

たまたまかけていたがん保険があったり

傷病手当だったりで賄っていたとはいえ、その点でも感謝しかないや。

 

ちょっと長くなりましたが、今回はこのへんで。

 

退職、引き払いなど。放射線治療について。

ずいぶん間が空いてしまいました。

最近仕事も忙しいし夜は疲れて子供と寝落ちするしで…

ブログって考えをまとめながら書くから難しいよね。

 

放射線治療とは。

 

癌細胞を放射線で焼殺する治療です。

めっちゃ荒々しく説明するとこんな感じ。

 

再発期間が早かったので郭清手術(郭清手術について

+放射線治療で再々発を防止しようという策を取ることに。

 

放射線治療は術後約1ヶ月後に開始することになりました。

その間も続けて入院することにしました。

実家が遠方でしたし、その間に関西の一人暮らししていた部屋を解約することにしました。

 

会社も退職する方向に。

 

傷病手当やら諸々手続きは母がしてくれました。

本当に大変だったと思う。

 

会社はもう続ける気力がなかった。

それに親も一旦休んで実家から通える範囲で見つけたらいいじゃない、と言ってくれて。

 

その言葉に甘えることにしました。

 

実際、顔面麻痺がひどくって人前に出たくない…

そういう気持ちが強くて、メンタルが結構キてました。

 

治療が始まる前に放射線科に行き問診や治療経緯の説明を受けました。

まとめると

・マスクを作って固定しながらの治療。

・治療は約1ヶ月、一日30分程度。

・照射によって頭髪の抜け、口腔内の火傷が起きる。

・顔の表面の皮膚も変色する。(要は火傷)

 

といった感じです。

治療中の絵を書いてみました。

 

わかるかなぁw

 

大きな病院なので放射線科があり、きちんとそこでの説明と

診察が週1回あるということ。

どこの科も先生方の説明はとても丁寧で優しく、それは本当に

ありがたかったです。心細かったので…。

看護師さんもみな優しかったです。

 

説明を受け、マスクが出来たらいざ開始です。

長くなるのでわけます~。

再発手術を終えて。現在の傷跡写真とか。

郭清手術

 

↑前回の続きです。

 

途中まで書いてたブログ消えた~~( ;∀;)

 

気を取り直してもう一度…

 

私は1度耳下腺腫瘍の摘出手術をおこなっています。

2年ほどでの再発。

 

前回と大きく変わった点

 

・顔面麻痺が強い

・手術時間が長かったので疲労度が大きい

↑実は、切開部がきれいにくっつくようにと、執刀医(担当医でもある)が首に沿うように切ってくれたため、

郭清手術に時間がかかったそう。

ガバッと大きく切ってしまえばもう少し短時間だったみたいだけど、

担当の先生は術後のことをよく考えてくれていました。

 

 

 

 

このイラストを書いたあとで、

「っていうか写真撮ればよくね!!??」って気づいて

(無駄な時間だった…)

 

撮りました。傷跡。

 

 

お見苦しくて申し訳ない…

(肌とかほくろとかフォトショで消せばよかったぜ)

 

わかりますかね?耳の下から写真左に向かってズバッと傷跡。

 

これ、首を伸ばしているので結構見えますが、正面を向いていれば位置的に見えません。

 

 

右側と比べるとリンパ節等々を取ってあるので、

若干左側のフェイスラインはシャーープ!

太っても皮膚が引っ張ってあるのでシャーーーープ!!

 

 

 

でも右側が加齢で弛んでるので横顔が悲惨。

 

この下顎のラインよ…(悲しみ)

 

あとは顔面麻痺の影響で、やっぱり今も左側の口角は気を抜くと下がってしまいます。

写真とかだとすごくよくわかる。

表情を動かしているときはさほど気にならないんだけどね。

 

 

こんな感じです。

BBAの皮膚とか見せてゴメンナサイ。お目汚しってヤツだよ!

 

 

でも少しでも参考になれば。

 

初めて手術の話をした相手は「ああ、その手術のあとだったんだね!」って気づいていた人もいます。

100%隠しきれるわけはないけれど、

自分なりにうまく付き合っているし、何年か経つと髪をアップすることも厭わなくなってきました。

 

ただ、放射線治療の影響で左後頭部の髪は薄いので、

アップスタイルとかにするのはやはり少し抵抗があります。

そのあたりの写真はまた放射線治療について書いた時に

頑張って撮影してみます。

 

 

2度目の摘出手術 郭清手術

2度目の手術は 耳下腺、顎下腺、リンパ節郭清手術

 

↑前回の続きです。

 

 

 

諸々検査を終えて、手術日が決まりました。

 

前回の手術から2年も経っていないので結構色々なことは覚えてまして。

 

前日にまた髪を剃って、麻酔科の先生とお話をして。

きちんと病室に来てくれて説明をしてくださいます。

まぁ事務的な感じなんですけどね。

 

そんな感じで夜を過ごしました。

2回目の手術の前日のこと、全く覚えていないんですよね。

あんまり緊張してなかったのかなぁ。

 

さていよいよ手術。前回と同じく歩いて手術室に入り、

ベッドに寝ます。

前回は3時間ほどの手術。

母親が外で待っていてくれて、今回も同じく待っていてくれることに。

 

麻酔が効いてきた…

「1、2、さn」

 

そして次の瞬間、また母の呼ぶ声で、病室への移動中に目が覚めました。

 

母が泣きながら「終わったよ、お疲れ様」と言ってくれ、

私はまた眠りに落ちてしまいました。

 

ここ、詳しく書こうにもなんも覚えてないからさ…

書けないから一瞬だよねw

 

そして目が覚めると、ひどい頭痛と首の痛み。

前回の比じゃないレベルの激痛。

 

それもそのはず。

どうやら今回の手術はなんと8時間もかかったらしい。

母から聞いて驚いた。

 

外を見ると確かに暗い。

 

頭痛と首の痛みの原因は、8時間も首を横に向けたまま同じ姿勢だったからだと思う。

 

いつもいるのかと思いつつ投稿するクソみたいなイラスト…

 

 

 

もうほんっっっとに首が痛くてそれが今回一番辛かったな。

痛み止めもらったけど今回はとにかく激痛で辛くて…

泣いてました。

 

先生が来てくれたけど詳しい説明は明日の朝にするねといって

帰っていきました。

 

夜は親も帰っちゃうし心細くてね~…

痛くて眠れない…

 

前回と同じく、しくしくめそめそしながらその日の夜が終わりました。